建築物を評価した クライアントの依頼に応えて。
今回、大岩さんにはじめてお願いすることになった宇治のプロジェクトは、老朽化した店舗の建て替えなんです。建築面
積が59㎡と比較的小さなこともあって、当初は木造の2階建で計画していたのですが、法律的な問題で鉄骨造に変更しました。
今回の場合クライアントが、私が以前に宇治で設計した建物を気に入られて依頼に来られたわけなんですが、これは私にとってありがたいことでしたし、やりがいもあります。建築家とクライアントの関係としてのもっとも望ましい姿だと、私が常に思っている形だったからです。JR宇治駅の正面
という場所柄、クライアントとしては大きなテナントビルを建てたかったようですが、多くのテナントは望めないと判断して、協議の結果
、現状の2階建になりました。実はこの建物の1階はクライアントの店舗ですが、2階には私のアトリエが入ることになっています。
良い建築に住むことは戦いある。
私の場合、設計に関して、クライアントの細かな要望についての打合せというのは必要最小限にとどめることにしています。設計にはクライアントの今ある生活をそのまま建物にするというやり方もありますが、私はそうではなく、新しく建てられた建物に応じて新しい生活を生み出していくことこそが《建築》というにふさわしいと思っています。だから、クライアントが《建築》に対応しようとしている方かどうか、つまり自分の生活を新しく変えようと思ってらっしゃるかどうかを確かめたうえで、ご依頼を引き受けることにしています。
私は、《建築》というのは人間に対しての一種の暴力かもしれないと思っています。で、その暴力的なものとどう戦って住んでいくか。良い建築に住むことは戦いのようなものかもしれませんし、またそんな戦いがなければ建築は成立しないようにも思えます。古今東西、良い建築はすべてそれにあてはまるのではないでしょうか。例えば、桂離宮。あれはすばらしく良い建築です。でも住むのは大変でしょうね。建築と人間の緊張関係なんですね。《建築》に住むというのは、いわばその緊張感を楽しむことだと思います。そういう意味で、《建築》に住みたいと思われる方のために私は設計をつづけていきたいのです。
クライアント、設計家、施工者は 対等の関係であるべき。
クライアントがお金を出しているのだから、どんな要望にも応えなければという、クライアント至上主義的な風潮もあるようですが、私はそうは思いません。私は設計をして監理をしているわけだし、施工者は施工者できっちり作業をしているわけですから、三者は対等だと思っています。
施工に関して今回はじめて大岩さんにお願いしたのは、見積りが厳密できちっとしていたこと、そして話をしてみて信用できると判断したからです。建築家は、図面
に仕上げのディテールまで細かく書き入れます。例えばどんな塗料を使うのかとか、ビスはどんな風に打つのかといったところまでね。図面
は建築の意思表示なんですから、どんなものをつくるのかというところまできちっと描いておかねばならないと考えています。だから施工会社も最初からきちっとした見積りができるはずなんです。それをドンブリ勘定で見積りするような会社は、信用できないと思っています。
これまで自分の設計した建築物に対して、不満はいっぱいありますよ。自分の能力はもちろん、資金面
や法律の問題など。でも、その時その時の制約条件の中で精一杯やったという自信だけはあります。
(根岸一之氏談)
睦美堂/京都府宇治市 主体構造:鉄骨2階建
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